紙は無くなりますか?

紙は無くなりますか? | 螺旋日誌はてな よく未来の話で、紙がなくなって全て電子化されるといわれていますが、果たしてそうなるのでしょうか?。みなさまの自由な発想で論じてください。

はてなで面白い質問があったのでちょっと考えてみた。

文書の電子化はここ数年で急激に進んでいます。電子文書法の施行も目前として、紙という媒体はこれから著しく減っていく方向へ向かっているのは言うまでも無いでしょう。かといって、法的な整備もまだまだですし、セキュリティの面では紙媒体に劣る部分も多くあります(もちろん優れている面もありますが)。電子署名に関する技術が発展しているとはいえ、日本の印鑑に代わるシステムというのも現在のインフラでは難しそうです。まぁ個人情報もデータ化して、ICカードなり何なりと生体認証を組み合わせれば本人確認は実現可能ではあるでしょうが、ハードウェアの面でもそこまで普及してないですよね。上記はてなで質問者が挙げている2010年までに紙の文書が消え去るというのは考えにくいですね。


では、それ以上の年数が経てば、2100年・2500年…はどうか?と考えてみるとどうでしょうか。果たして「ジャンプ」はデータ配信になるのでしょうか。新聞は?

 結果から言うと、おそらく全てが無くなるわけではない(これから出版される本は残るため)でしょうが、新しく印刷されるものとしてはゼロに近づいていくのではないでしょうか。本の類は高度な著作権保護技術とともに、全てがデータ化され、持ち運びに簡単なメディアで持ち運ばれる時代がくるでしょう。書店は淘汰され、データ販売という形で専門の端末もしくは他のデータとの複合端末として駅やコンビニエンスストアに設置されるだけのものとなる。もっとも、そういう端末すら不要で、家でもダウンロードできるとは思いますが。閲覧には専用の端末を使います。コンパクト(折りたためる?)でかつ視認性の良いディスプレイが必要なのでなかなか難しいでしょうか…
 
 書店という素晴らしいスペース、立ち読みという文化が消え去ってしまう恐れもありますね。おそらく代替のものが出現するでしょう。データ立ち読み可能な書店…?想像もつきませんが、おそらくそういったものが。カフェとかと統合されると面白いかもしれませんね。
 
 それでは書類はどうなるかというと、これは公的文書も含め全てがデータ化されるのではないでしょうか。効率を求める企業はもちろんのこと、お役所もそれに追従する形で導入を進めるでしょう。

とまぁ勝手なことを言って見ましたが、もちろん私が生きてる間にはこうはならないでしょう。一部の書籍と新聞は電子化されるんじゃないかな?皆さんはどう思いますか。

果たして、年賀状や手紙はずっと在りつづけるのでしょうか。

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Tatsuya/spyral について

アラフォー雇われ機械設計技術者。 試作・工作機械・航空機・自動化ラインなど広く浅くやっております。 岡山県在住。大阪、名古屋に在住歴。 熱しやすく冷めやすい、広く浅いオタクです。 二次元ではない嫁を探しています。結婚しました。 ガジェット、カメラ、Android、プラモ(AFVほか雑食)、フィギュア造形、に興味があります。3DプリンタはZortrax M200、Photon所持していますが大抵遊ばせているのでご依頼いただけれれば出力可能。 フィギュアの造形できないけどなんとなくワンフェス・ガレキ勢。 読書目標は100冊/年。(永遠の課題)

紙は無くなりますか? への11件のフィードバック

  1. ふぁんきゅ の発言:

    すでに若者世代で年賀状は廃れてるよね。
    俺もここ数年、年賀状を書いた覚えがありません。
    こっそり若者振りをアピールしてみるテスツ。

    それはさておき。
    書類の電子化というのはまだまだ先の話、というか実現しないのではないかと俺は思います。なぜなら、端末が普及しないから。
    確かに電子ブックのような端末は今現在すでに技術的には十分可能になっています。ではなぜ不可能か?答えは簡単、持ち運べないから。バッテリーが重すぎて。
    携帯ゲーム機のようなものは出回っていますが、あのサイズの画面に文字を写してそれをスクロールさせて読むのはかなり疲れるし、読んでる最中に自由にページを変えたりするのも苦労しますね。それだったら本のほうがいい、って人はいっぱいいるんじゃないでしょうか。

    まぁ、遠い未来には実現するのかもしれませんが、そのころまで日本経済が安定しているとは俺にはとても思えませんので。

  2. spyral の発言:

    私も数年年賀状書いてません!!!
    (必死に若さをアッピール)

    そうか、バッテリーが一番ネックだということを忘れていました。電池なくて本読めない、ってかなりショボーンな状況ですな。今の紙と同じような感覚で使えるデバイスが…できるといいですね>未来の人
    辞書の類は既に電子辞書に取って代わられてるわけですが、あれは辞書の重さが並みじゃないからですね。辞書ってのは紙媒体のが面白いですけどね、電子辞書は便利なのもありますねぇ…
    ↑はてなで誰かの回答のなかにありましたが、やっぱり文字も自然光で読むほうが目も疲れませんしね。ディスプレイじゃ活字離れも一層進んでしまうかもしれないですね。もはや活字なんて言葉も死語っぽいですが。

  3. ジル の発言:

    私も数年(ry

     私もなくならないと思いますねー。
    そして個人的には長い読み物は紙がいいな。ディスプレイの進化と縦書きの日本語表示が定着したらどうなるかわからないけれど。

    これはかなり前(5.6年前?)の記憶だけどコンピューターの発達によって紙面文書の現象が期待されたけれど、結果としては印刷物の量が増加したというニュースをみたことがありました。現在はどうなってるんだろう?

     電子書類の利点は非電子書類を淘汰するものではない気がするので非電子の書類はなくならないと思います。読みやすさや、万人に扱えるとかそういうのもあるけれど。媒体がなければ表示の出来ないデータの不便さや、データ化されたデータの公的な信頼性の問題とかetc 

    PS.やっぱり日本語は縦書きが落ち着く(´・◇・`)

  4. spyral の発言:

    また「はてな」からの引用になるけれど、昔使ってた粘土板も、当時の人にとってはそれが当たり前で、紙を使うなんて考えられなかったはずだ。でも可能性としては頭の中にちらついていたと思う。でもこれはあくまで紙という媒体が粘土板の延長上にあったから普及したわけであって、ジルが言うように「電子書類の利点は非電子書類を淘汰するものではない」という考えの元では成り立たなくなってしまうね。

     書籍は無くなって欲しくないけど、データ化されたほうが資源の面、流通コストの面で優れていると思う。電子書籍が登場したからといってすぐに既存の書籍が駆逐されるわけではなく、しばらくは共存するだろう。そして然るべき時間を経て消え去っていくのではないだろうか。そんな遠い未来のことを考えてられるほど、我々も暇じゃないはずだけども。
     
     私は文書を書くのは全部キーボードなので縦書きだろうが横書きだろうが同じなんだけども、確かに横書きで句読点とか使うのはちょっとおかしな気もしないでもない。文字自体の美しさを考えると日本語は縦に書くべきだとは思うね、読みやすさも縦の方がきっといいんだろう(ここらへん何か専門的な立証があったよね)。
    http://www.aozora.gr.jp/
    なんかをディスプレイで読むと、確かにおかしな気分ですな。というか読みづらい(´・◇・`)

  5. じゃんく の発言:

    毎年きちんと年賀状をだしてるじゃんくです。

    みんなと同じ意見だけど近い将来では紙は無くならないと思います。
    ふぁんきゅの言ってた通り、紙の役割を十分果す代価デバイスが出ない限り無理という事です。
    逆に代価できているもの(PCのマニュアルの一部)等は既に電子化されパッケージから消えてたりします。

    データが電子化される場合、どういうフォーマットで電子化されるかっていうのが結構問題になります。デファクトになればその製品を持ってる会社はぼろ儲けだろうなぁ。
    (逆にデファクトの座を争って消費者は互換性の壁に悩まされる歴史をたどる…)

    #電源については、電波で電気を送ったりとか出来る様#になるとは思うけど、その前に燃料電池かな。

    俺はこういう業界なのでメモはNotePCで、連絡はメールで、紙を印刷するのは月に2,3枚です。

  6. フライ の発言:

    紙と電子デバイスの関係については皆と同様の考え。
    ついでに年賀状も(略)

    うちの研究室でもその電子デバイスについてはよく話に出ます。
    紙が担っていた役割を今後電子デバイスが果たすことになるとしたら、
    それは従来の電子ブックと呼ばれる電子手帳のようなものではなく、
    いわゆる電子ペーパーになるでしょう。
    その名の通り紙のような柔らかい素材に文字や絵を映し出す技術で
    そのアプローチにも色々あるのですが、最も特徴的なのは
    一度映し出す情報を変えると電力の消費なしにその情報を保つというもの。
    電界で内部の粒子の配置方向を変えて情報を表示するのは液晶と同じですが、
    その後はその状態を保つのに電力を必要としないのです。
    これだと電力消費を抑えられ電源の小型化も可能となります。
    また自ら発光しているわけではないのでディスプレイのように見ていて疲れることもなく視認性も良い。
    #これは実用化されてみないと分かりませんが。
    イメージとしては、図書館などにある黒い閉じ具がついた新聞紙。
    あの閉じ具の所に回路があって、紙の部分に文字や絵を表示する。
    もちろん持ち運びの観点からはぺらぺらでなくてもいいわけですが。

    電子ペーパーの技術は近年急成長を遂げています。
    出かける前に今朝の新聞を電子ペーパーにダウンロードして持っていく。
    そんな日が来るのも決して遠くはないのはず。
    ただ、じゃんくんの言うように互換性や標準フォーマットをめぐって揉めそうなのは確かに心配。
    最もその競争があるから技術は進歩するわけですが。

    ただし動画表示には向かないのでディスプレイの代わりになることはないでしょう。

  7. じゃんく の発言:

    フライさん>
    粒子(素子)が配列を記憶してっていうのはFlashメモリもそうなので現実化早そう。耐久性とかが問題になりそうではあるけど。
    液晶はぶっちゃけカラーシャッタの塊なので電子ペーパーとは成りえないっての同意です。

    ユビキタスという言葉がもてはやされて彼是数年、ケータイはカメラになり音楽プレーヤになり、財布になり。
    電子マネーも一般的になり、NetでもCCを普通に使ってるけど紙のお金が無いと不安な人もいるんだろうな。
    やっぱ紙は無くならんよね。

  8. spyral の発言:

    これだけコメントがあると記事を書いて「どうですか?」口調にした甲斐もあったってもんだぜ!!
    #もし1つも無かったらかなり寒い状態
    色んな質問のされる「はてな」の中にあっても、何かを刺激される面白い質問ですよね、これは。理系だからか。

    そうか、別に動的な表示をする仕組みは要らないわけですね。動画が見れないのは残念ではあるけど、紙の代替としてなら動かないのが当然ではあるわけだ。

    標準フォーマットの問題はお腹イッパイですね(´・◇・`)紙の代替となるならみんなが使うものだし…すんなりはいきそうにないですなぁ

    紙といっても紙幣はまた別の問題だと思うけど、どうだろうね。「不安」なのはやっぱり「お金は紙」という概念があるからではないでしょうか。まぁそれが無くなることはない=紙幣は消え去れない、と私も思いますが。

  9. ふぁんきゅ の発言:

    電子ペーパーについては、デバイスそのものの劣化が最大のネックですね。4日も持たない現状では、実現は難しいでしょう。

    というか仮に実現したとして、推定価格は文庫本サイズの紙一枚につきおよそ70万円らしいです。
    んな高いもん誰が買うねん。

  10. yu の発言:

    私は文学作品なんかも、紙と同じようにパソコンで集中して何時間でもよめます・・・って、変ですか?_
    まあ、要は慣れの問題さえ解決できてしまえば情報を記録する媒体としての紙はなくても良いんじゃないんでしょうか。
    選択の自由がなくなるのは個人としては不満ですが。

  11. yu の発言:

    私は文学作品なんかも、紙と同じようにパソコンで集中して何時間でもよめます・・・って、変ですか?
    まあ、要は慣れの問題さえ解決できてしまえば情報を記録する媒体としての紙はなくても良いんじゃないんでしょうか。
    選択の自由がなくなるのは個人としては不満ですが。

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