2018-2019 雑記

日記

2018-2019 雑記 | 螺旋日誌

2018/9/24 (月祝)

昔、何でも無いようなことをこのBlogに書いては自己満足に浸っていた。
確か当時は「雑記」と名前を付けていたと思うが、最近ではそのようなとりとめの無い、そういったものはTwitter上ですべて一時の感情として吐き出してしまい、こうしてわざわざ編集画面を開いては、キーボードでぽちぽち打つことは少なくなってしまった。それの善し悪しはよく解らないが、ただ事実として短文が流行っているというタイミングと、自分の生活がガラリと変わってしまい自分の気持ちを表現する機会が少なくなってしまったタイミングが重なってしまった結果なのだろうと思う。

結婚して8か月ほどが経過した。
同棲期間もなく突然暮らし始めた二人であったので、どうなることだろうと私も彼女も、そしてお互いの親も思っていた事だろうが、幸いにして二人とも良い歳なので大きな喧嘩をすることもなく、平穏無事に過ごしている。
とても幸せなことだと思っている。

下書きにとどめておく。


2019年3月23日(土)

驚くほど時の経つのが早く驚いている。前回この雑記を更新してから実に半年が流れ、季節は冬を越えて春を迎えようとしている。
なんだかWordpressの画面も様変わりしてしまっていた。元に戻せないのかこれ。
戻せた。Classic Editorというプラグインを導入することで元に戻る。

嫁さんが妊娠した。とはいえまだ5週目で心拍も確認していないため予断は許されない。

妊活…というか妊娠しようとかなり頑張っての結果である。
世の中に妊活、不妊治療についてのブログ・ウェブサイトは数あれど、どうも男の側から書かれた文章の少ないこと少ないこと。確かに、妊娠出産に関わることとなるとある程度女性のほうが主役になってしまい、男の側からは発信しにくいのも解る。しかし不妊に関してはその半数が男の側に原因があるという現実もあることを記しておく。

ここからは赤裸々に私が体験したことを記しておこうかと思う(妻の了承は得た)。それはかつての私が探した情報であり、今後誰かの役に立つ情報かもしれない。ただ、「この人の時はこうだったのだから私の時もこうに違いない」とか根拠の無い精神的な救いを求めるのはやめてほしい。うちの嫁にはそういった傾向があるので(多くの女性がそうなのかもしれない)、ウェブに書かれた情報の多くが下記のようなものになってしまっている。

Q.私の時はこうだったんですが、どう思いますか?
A1.私の時もそうだったから大丈夫だよ!
A2.私の時とは違うみたいだけど大丈夫だよ!

安心を求めるのは解るしそうした考えを批判するものではないことを理解して欲しい。

ただ、世の男性諸氏には、数字で考える不妊治療とその確率について正しく理解した上で、どっしりと奥様の不安を受け止める男であってほしい。
私がそうであったとは言わないが、そうあるように

(文章はここで途絶えている。すみません、後日改めて書きます。)

2019年7月24日(水)

驚いた。あっという間に4か月が過ぎ去っていた。
お陰で何事も無く妊娠8か月目(23W)を迎えている。えっまじか。
周郭胎盤という、少し胎盤のカタチが人よりも分厚いようだが、昨日エコーで見た我が子は無事に育っており、顔まで確認できた。
義母と嫁がエコー画面を見たときに同時に「かわいい」と言っていたのが印象深い。そうであろうか?
まだ、かわいいという感動とは無縁な生物に見えるのだが、まあ、お腹の中にいる(いたことのある)女性と私とは感覚が違って当然である。
しかしそのような様子をしている我が嫁と、むにむにと画面の向こうで動いている私の娘をみていると、頑張ろうという気はなんと無しに起こってくるものであるなあ。

2019/09/08

そして自分の誕生日を迎えることになった。お腹の子(便宜上「たまちゃん」と呼んでいる)は順調に成長しており、週数相当だと産科医の先生には伝えられている。
ちなみに現在29週を迎えたところだ。胎動がかなり激しくなり、内側から蹴っている(あるいは腕をのばしている)動きが見えることもある。

先日の検診でようやく顔がハッキリ見えた。多少グロテスクであるので(そうでもないか)写真を貼ることはやめておこうかと思うが、いややっぱり貼ろうかな、
目がどちらに似ているだの、鼻がどちらに似て居るだの、そのような話題でもちっきりとなった。
やはり顔を拝めるというのはすばらしいもので、技術の進歩は明るさをもたらすのであるなあと再認識しているところである。
かわいい、と手放しでは思わないが、なんとなく自分の鼻をうけついだであろう我が子の団子っ鼻は見ていて愛らしいものであるし、ふくふくとしてきた頬をみるとようやく赤ちゃんらしさも感じてくる。

先日は「両親学級」というものにも参加してきた。
流れとしては、出産までに用意するものの説明、出産時の流れ(心構えのようなもの)を観たのだけれど、なんかすごい神秘的というか、何一つ医学的なことを説明されるわけではなく、なんとなく産まれるのだという感じが強い。それが悪いと言っているわけではなく、おそらく生物学的にとんでもない負担を強いる出産というメカニズムがある種神がかっているものとして再認識されたのだった。
おそらくその筋の学会の人たちは色々と研究を進めているのであろうが、結局こうやって産院で産むものにとってはあまり興味があるわけでもないので、なんとなくだけどイイ感じで産まれますよ~というほんわかとしたムードのものであった。いや、実際はそうではないのは解っているはずだし必要以上に脅しても仕方が無いのでこれで正解なのであろう。

健診の時に嫁氏が「ちゃんと産めるかどうか不安です」などと助産師の方に漏らしていたのだが、それはプロに対して失礼ではないか。
もちろん不安があるのは理解できるけれど、相手は何千もの命を取り上げてきたプロだ。そのようなプロを目の前にしているのだから、大船に乗った気持ちでドーンと構えているべきではないか。
などと、男の私が書くと「何もわからないくせに」と思われそうなのであまり書けないのである。不安なものは不安だ。そりゃそうだ。

2019/11/27

また2か月の月日が流れた。
娘は11月上旬、無事生まれた。


結局、妻の胎盤の位置が下がり気味であったため、帝王切開手術での出産となった。予定日というものに振り回されることはなかったし、確かに生まれるのは数十分であったがその数十分がとても長く感じた。
生まれた直後の我が娘はそれはとにかく小さく、儚い存在であって、初めて(妻より先に)抱いてしまったときには、本当に壊れそうで、どうしたら良いのか解らなくなって、妻の身体も心配であるが、なんだか目の前の生命体が目の前に居ることが信じられなくて、涙した。
何なのだろうか?悲しいわけでもない、単なる感動とも違うあの感情の涙は、おそらくあの瞬間にしか流れないものだと思うのである。

現在、産後の肥立ちもよく母子共に健康である。妻の食欲がはんぱない。

この雑記もここでとりあえずの終わりを迎えることとしよう。ここまで、少しの間ではあるが、時間を遡って読んでいただいたことに感謝する。

コメント

タイトルとURLをコピーしました