grandmother

grandmother | 螺旋日誌祖母が亡くなった。
享年なんと101歳(数え年)である。

本記事のタイトルは父の時に合わせて英語でつけてみたが、大二病だったころの自分がくすぐったい。しかしながら、久々に自分が当時書いた気分を読んで、ああ、やはり気持ちをその場で書きなぐっておくのも大事だなと思った次第。

祖母は、1月には満100歳を迎えた。
市長をはじめ、県知事や内閣総理大臣より祝いの品をいただき、近所の皆さんからも「すごいね、この町内だと初じゃな」と声をかけられることが多くあったのが本当に先月の話なのだ。それからしばらくして寝たきりになってしまい、本格的な介護がいよいよ始まったぞと思っていた、矢先のことである。
あれよあれよと口にするものも少なくなり、寝ているばかりになり。

ああ、いよいよかと。
人が枯れていくというのはこういうことなのだと、まざまざと見せつけられた。

数日前からお医者さんに告げられ、心構えはしていたつもりであったが、その時はやはり突然にやってくる。
家族からの電話で駆け付けたが、すでにこと切れていた。

気丈な姉が泣いていた。
誰よりも時間を一緒に過ごしたはずの母も泣いていた。

私は覚悟していたのもあってかその時には大きな声も出なかったが、先日告別式を終えて帰りの車の中でひとしきり泣いた。
もう喪主はこりごりだ。
今後何度かあるかもしれないが。

大往生だね、とみんなは言ってくれるし、自分でもそう思う。
父の時とは違い、何も悔いることはない、本当に天寿を全うした死であった。
昭和の初め、20代で嫁に来てからこのかたずっと、大病を患うことも無く、最期まで自宅で過ごしたのである。
最期を看取っていただいたお医者様も、「こんなのは最近珍しいよ」と仰っていた。
たいていのご老人は、病院に厄介になって、言い方が悪いのを承知で言うが、生かされ続けて、その時を迎えるのが現在の主流。
本当に家族を大きく困らせることなく、眠るように逝った。本当に、すごい。

私は、祖母が怒っている顔を思い出せない。
きっと、見たことがないからだ。
私にも、周りの誰にも、怒っているのを見たことがない。
他人には優しく、自分には厳しい、そんな性格を地で生きているような人だった。

私は、おばあちゃんっ子だった。
幼稚園から帰ると、母がいても祖母が見当たらないと
家から駆けだして探しに行くほどだったらしい。
今でも笑い話になっている。

私は、祖母が声を出して泣いているのを、一度だけ見た。
父が亡くなったときだ。
父の分まで、祖母は長生きしたのだと思う。
だが父、あなたは親不孝者だよ。私以上にね。

私は、新しい我が家の完成が間に合わなかったことが心残りだけど、
本当に最後にひ孫を見せられてよかったよ。

さてさて、おばあちゃん、ありがとう。
長い人生お疲れ様でした。
私はあなたが大好きでした。

今頃、親父や爺さん、ひいばあさん、愛犬ミントや、チロとも合流できているかな。
おやすみ。

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