もう新海誠監督作品を観たときしか更新されないんじゃないだろうかこのBlog。2022年のあけおめ記事すら書いてないのに自分でびっくりしました。
というわけで、昨日観てきました。公開初日(11日 金曜日)は仕事だったので普通に逃しました。
3(4?)連続新海作品公開初日鑑賞は逃してしまったというわけですね。
土曜日の15時過ぎの鑑賞で、人入りはまばら。3割くらいかな?半分以上のスクリーンが「すずめ」になっていたので、それもそうかなと。
評判を確認してから観に行くっていう人も最近は多いみたいですし。
家族連れが結構多くて半数くらいかな、あとは若い人のデート、お年寄り一人で来られていたのは趣味なのかなあ。
ガチオタ勢は当たり前だけどこの時間に活動していないので居なかったですね。我々夫婦を除けば・・・。
はい。
どうしても観たい映画があるからと、エヴァ以来のお願いを申し上げ、娘を義両親に預けて観てきました。
後悔はありません。
ここに今までの新海さんの感想を並べたりしていたが、それより早くとりあえず感想を書いておかなければ散逸してしまうので、書く。
とても良かったです。(この感情を端的に表すだけの語彙を持ち合わせていない。)
一番グッときたのはやはりラストシーンのあたりで、小すずめが母親を探して「おかあさーん、おかあさーん」「おかあさん知りませんか」と言っているところでした。単純すぎますかね。
ちなみに嫁氏が一番グッときたのは、これまたラストシーンですが、草太さんが「こんな短い時間で何があるか解らない命だけど、それでも生きたいと思えるんだ」(セリフはうろ覚え)と言っていたところだそうです。なるほどなあ。
新海さんはすずめの成長物語としてこの話を考えているというのをパンフレットで読んで、やはりというか、そう感じました。おそらくは実娘のちせちゃんのことも重ねて書いている部分もあるのかなと。あとは12年という歳月が経ったとはいえ、東日本大震災のことをダイレクトに描いているというのが、驚きとともに深い感銘を受けました。
「君の名は。」にしろ、「天気の子」にしろ、災害を扱っており、おそらく(ろいうか新海監督も明言していたように記憶していますし、今回のパンフレットなどでも振れられていますが)災害を書きたくても書けなかったのを、やはり今回やりきろうとして、集大成として仕上げてきたんだなというのが感じ取れました。
あとはコミカルな部分も、効果的に入れてきていて緩急がちゃんとついていて本当に良かったです。なんと、新海映画で、劇場で、笑いが起きてましたよ。
年齢層にもよるのかも知れませんが。
前回(天気の子)少しきつく書いたままレビューをほっぽり出していましたが(今読み返すと結構酷いこと書いてるな)、間延び感がなくてテンポがとても良かったですね。すごい。
正直「RADWIMPSみ」がかなり減ってしまったのは残念なところではありましたが。前回あんなこと(ミュージッククリップじゃねーんだぞみたいなこと)を言っておきながら勝手なことを言っているなと我ながら思いますが、多少は期待していたところもあったので(本当に勝手だな)。
見終わったあと、二人共通の感想は、「早く帰ろう、そして一生懸命生きよう」でした。
まあ、新海監督の思う壺というわけですが・・・。
一日一日をそれなりに強く、生きていければそれでよし、ですね。
公開前から温めていた小説版を読まなければ・・・
余談ですが、マクドナルドのハッピーセット絵本「すずめといす」は鑑賞前に読むと、鑑賞中の感情移入度合いが反則級にヤバイので、鑑賞後に読んだ方がいいですね。
あれをお子様向けに出しておいて、「すずめといすのぼうけんがはじまるよ!」みたいな誘導をする新海監督は鬼かと思いましたが、おそらくは、あの椅子の絵本を読むような小さな子も、これをきっかけに大震災のことを思い出し記憶しておいて欲しいというのが狙いにあるのかもしれませんね。しらんけど。
※また書き足すと思いますが、初稿として。2022/11/13
【2022/11/19追記】
その後、小説版を読み終えて、一週間が経った今。
なんとなく、もう一度観てみたいという気持ちが湧いて来ています。「天気の子」の時には無かった。
新海さんが「新海誠本」の中で以下のように書かれています(以下、同誌13ページより引用)
自分の子供がある程度の年齢になってきたとか、単に自分が歳を取ったということなんですが、裏を返せば、49歳の今の僕にはもう『君の名は。』のような映画は作れない。運命の赤い糸のような物語は、今の自分には当時ほどの強度では作ることが出来ません。同時に、『すずめの戸締まり』のような物語は、今でなければ作ることが出来なかった。『君の名は。』の頃の自分には届かない深度に、『すずめの戸締まり』はあると思います。
この言葉を聞いて、とてもしっくり来ました。これは、我々、物語を消費する側、鑑賞する側も同じですよね。
今の自分だからこそ感動した、とか、当時の自分だから・・・、とか。
震災の時に成人していた私も、その出来事は画面を通して見るばかりで、だんだんと記憶から薄れていくものでした。
娘が生まれますます忙しくなって、そしてこの映画をこのタイミングで観たからこそ、大きく心をえぐるものがあったのだと思います。
奇しくも、娘は小すずめと同じくらいの年齢になりました。
いま、もし、親が居なくなることのさみしさ、悲しさといったら!
夜寝るときでも隣にいなくなると泣きだしてくるほどです。
それを想像するだけで、自然と劇場で涙してしまったのでした。
この映画を、もし20代の、30代の、独身の私が観たらどんな感想を書くのかな?
そんなことを思いながら、今度は「だいぼうけん」を観たがっている娘と一緒に観るのもいいかな。何年後かな。
小説版を読んだ時の私の感想を下記しておきますね。(読書メーターより)
映画鑑賞後に読んだ。 当たり前だけれど、毎回思うのは、映画を観る前に読んだ場合の感想とは絶対に違うし、それは一生わかりっこない感想なのだと思うと、はてさて、映画を観てから読むことが本当に良いことなんだろうかと。 小説の出来が良いからこそ、思いますね。小説だけを読んだ時の自分にもなりたいというか。
先に小説版を読んでしまったら、読まずに観たときの感想は得られないし、逆もまたしかり。
今の自分という一瞬と向き合って・・・おっと
今までの新海さん感想たちはこちら↓(新しい順)
https://spyralog.net/2006/07/30/356/